矢沢あいのNANAを読んで

最近矢沢あいNANAを読んで、人生や人間関係にまつわる仮説をいくつか想起したので書いてみようと思う。

(ネタバレの可能性があるので未読の方はご注意です。)

 

一、

タクミを見て、人生の中で複数の居場所を持てば持つほどバランスが取れるのではと思った。

何か一つに偏ることなく、仕事や家庭、趣味などその他のコミュニティがあった方が保険が取れるんじゃないか。

タクミは基本的に仕事人間で仕事が大好きだけど、それでも仕事で嫌なことが起こることがある。

そんなとき、家庭に逃げることができる。今度は家庭が嫌になったときは、仕事に逃げることができる。

そうやって複数の居場所を持つことで、逃げ場をつくってバランスを保てる。

居場所ってつまり、人間関係ってことにもなるのかな。

 

一、

レンの言葉から、人を自分の思い通りにすることは不可能だと思った。 

レンとナナのように運命だと思われるパートナーがいても、自分が相手に望むことを強制することはできないし、強制できたとしてもそれは相手が自発的にしていることではない。

相手に自分の望みを求めてそのようにしてくれても、その人が心からしたくてそうしてもらわなければ意味がない。

結局人間は欲深い生き物なんだろうな。

 

一、

レンとナナを見ていて、誰か一人の人物に対する深い愛は人生を充実した方向に必ずしも導くものではないかもしれないと思った。

ナナはレンに対する愛を自覚しているがゆえに強がって、がんじがらめになっていたと思う。

レンは「浮気できた方がまだマシ」と言ってクスリに逃げてしまった。ナナ以外の人を好きにならないから、すれ違いや相手への望みがふくらむばかりでそれに囚われて逃げられなくなってしまうんじゃないんだろうか。

 

一方でタクミは基本的に仕事第一だけど、奈々に対しては家族としての愛を感じているし、レイラは自分の中で穢せない「聖域」のような存在として感じていて、誰か一人に依存していない。

それはとても健全な生き方だなと思った。

なにかに依存してしまえばしまうほど、窮屈になっていくんじゃないかな。

これは一つ目の感想と繋がる。

 

一、

タクミがレイラに対して感じているような、自分の中で特別で、別格な存在と結ばれても幸せになれないのでは?

そういう存在はいつまでも心の中で神秘的な存在として留めておきたいなと私は思う。

 

一、

一人の人間が死んだ時、一番悲しむ(打撃を受ける)のは恋人なの?

 

最後の二つはうまく説明できないので今後思いついたら追記を検討したい。

登場人物の中でタクミが一番まともだと思った笑

ミュージカル「CATS」の映画版を観て

 

サントラを聴いて、気になっていたミュージカル「CATS」の映画版(1998年)を観てみた。

 

はっきり言って、ストーリーはよくわからなかった。キャッツの衣装や役者たちの姿が印象的過ぎて頭に入ってこない笑

 

ストーリーよりも曲とダンスがとても印象深かった。

サントラを聴いている時から、オープニングの曲が一瞬で好きになった。(The Overture〜 Prologue: Jellicle Songs for Jellicle Cats)

あの奇妙な、不気味なサウンドがクセになる。ああいう凝ったテクノサウンドって大好き。(自分で勝手にテクノサウンドと呼んでいるんだけど笑)

最近はもっぱらヘビーリピート。夜とか特に聴きたくなるね。

 

Prologue: Jellicle Songs for Jellicle Catsのサビの部分がとても好きなんだけど、リズムがとても難しいと思う。

 

Jellicles can and Jellicles do
Jellicles can and Jellicles do
Jellicles can and Jellicles do
Jellicles can and Jellicles do

Jellicle songs for Jellicle Cats
Jellicle songs for Jellicle Cats
Jellicle songs for Jellicle Cats
Jellicle songs for Jellicle Cats

 

この歌詞をこのリズムに合わせて歌うのがとてもクセになりそう。

この曲、中毒性があって本当に何回でも聴いてしまう!

 

この映画版はミュージカルから変わっている箇所があるらしい。(Wiki情報)

だから本物のミュージカルもいつか観てみたいな。来日公演やらないかな。それかブロードウェイに行くか。

 

それからCATSが映画化されるそう。来年2019年12月に全米公開だと。

Taytayも出演だとか笑  でもキャッツの衣装すごく似合いそう。猫の動きとかもね。

ニューアルバムはまだ先かな?

 

結論

キャッツは音楽に中毒性のあるミュージカルでした。

 

象徴としてのキツネ

 

今日はスカイツリーに行ったのだけど、l’atelier du savonでキツネ柄のパーカーを購入した。

このお店は、スカイツリーに行く度に寄っては行くのだけど、洋服を買ったのは初めてだったりする。

 

キツネを見ると、必ず思い出す要素がある。

ひとつは、Taylorの”I Know Places”

 

何かから逃げる象徴であるキツネ。

何かとは、歌詞の中から言うと二人の仲を邪魔するメディアやパパラッチ。

自由を阻害するものからの逃避。自分を害するものからの逃避。

キツネを見るとこんなイメージが自然と湧いてくる。

 

かという私も自由を追い求めたり、人からの先入観に日々煩悶しているので、

キツネを見ると縋りたくなる気持ちになる。

だから今日はキツネ柄のパーカーを見て、即決した。

 

自分を邪魔するもの(それはとても抽象的な概念でしかないけど)に私は屈しないという意志を示してこのパーカーを着るのです。

今日も洋服を利用して密かに全身でメッセージを伝える。

 

最後に、もうひとつの要素はというと…

明智光秀。(これは秘密)

 

おしまい

 

 

ブログを始める理由


文章を書きたいと思った。


表現をする手段が必要だと思った。


日記を書くことはあるけど、

他人に読まれるという意識を持って文章を書くことで、

文章力が上がるのでは  と思った。


自分のことを発信することは苦手だけど、

文章力を高めるためにがんばってみようと思います。


おしまい